新生活色々ありますよね…

新生活は色々ありますよね。突然の移動や、入学式、引っ越し、ブログの更新も遅くなってしまうのは、当然と言えば当然…。という自戒をこめつつ、久々のブログ更新です。

 

 

 

 

 

 

この間あれだけ「モアナモアナ」「モアアアアア」と言っていたのに、あれから全然言ってないです。ですが、毎日のようにドウェイン・ジョンソンの”You're welcom"は聴いてしまいます。これはモアナ中毒なのではなくドウェイン・ジョンソン中毒に違いありません。

 

ドウェイン・ジョンソンはモアナに登場するマウイという役なんですが、まあまあ見た目はかっこ悪い方です。ですから、マウイがモアナの相手役なんてのはかなり不足なキャラクターなのかもしれません。

 

マウイは実際にポリネシアやマオリの伝説にもなっている英雄な訳ですが、その人達にとってこんなブサメンはいけない!黒人差別だ!といった反応も多く見受けられます。確かにそれはどうなのかとも思いますが、先日こんな本を読みました。

 

五木寛之の『風に吹かれて』です。五木寛之の作品の中で一番流行ったんじゃないのっていう作品なんですが、この中にある”鮨とカメラと青年”の一節にこんな言葉があるんです。

 

「アメリカの男たちは、白人の入浴を盗み見た黒人に、激しい怒りを爆発させるだろう。彼らは、その黒人に嫉妬しうるからである。つまり、彼らは黒人を同じ人間として感じているに違いないのだ」『風に吹かれて』から引用

 

この作品が書かれたのはおそらく戦後間もなく、高度経済成長の頃なのです。つまり、黒人に嫉妬するということは、”差別”っていう前提が無ければ成り立たないということ。ようするに、差別が薄くなっている現在、これを作ったでディズニー側は絶対意識的にやってないんじゃないかと思う。黒人か白人かどうかを区別することはあまりにも時代錯誤ではないかということだ。

 

ディズニーはマウイとモアナに恋愛感情を抱かせないためにも、マウイをかっこ悪く描く必要が単純にあったのだと思う。

 

今の時代は白人が差別する時代では確実になくなってきていて、むしろ黒人の無意識な部分が差別を生み出してしまっているのかなー。と思う時がある。いまでは、白人が黒人を差別したら、その白人が批難される時代なのであって、(というかそうであってほしい。)黒人云々の話じゃないのだと思ってしまう。トランプ批判の明確な姿勢にもなり得る。

 

この映画、マウイというキャラクターの批判は、黒人か白人かというデリケートな問題をデリケートに扱わなかったことがそもそも問題なんじゃないかと思う。

 

そして、この映画はデリケートな問題をデリケートに扱わなくなった現在の社会をちゃんと示してくれている作品でもあるのだと思ってしまった。